恋だの愛だのについてのお話

やれやれ退屈な夏が来た、と思っていたのも束の間 気がつけばもう秋だ。

秋は一番好きな季節。

理由は私の生まれた季節だから、という至って単純なもの。友だちには驚かれるけれど、私は幼い頃から今も変わらず誕生日が楽しみで楽しみで仕方ない。私にとっての誕生日はなんてったって自分が自分であることに感謝する日なのだ。自分の誕生を、成長を、自分が一番に喜べること。それが私の日々の活力でありあれこれを頑張るパワーの源なのだ。

 

私が私として時間を重ねてこれた喜び。自らの成長をかたちとして最も実感できる一日。堅苦しいしきたりやルールなんて必要ないけれど、何事においても節目というのは大切にしたい。節目は平坦な日々に生まれた幸せに輪郭を与えてくれる、過ぎ去ってしまった成果を再び蘇らせて労うことができる、そんな特別なものだから。

誕生日を待ちわびる気持ちは、きっと50になっても80になっても変わらないと思う。いくつになっても誕生日を心から楽しみにできる、そんな歳の重ね方をしたいと思っている。

 

 

 

 


さて久しぶりとなったけれど、今回はタイトルの通り恋だの愛だのについて文字を走らせていこうと思う。

これは恋に悩む全ての人に宛てて書く手紙のようなもの。そう思ってふらっと読んでくれたら嬉しい。

 

 

 

 


貴方は、好きな人がいますか?

恋をした事はありますか?

 


たった15年、数えるほどの恋しかしたことのない私が言うのも恐縮だけど、恋は良いものだ。私は人生において大切なことの数々を恋から学んだと言っても過言ではない。いつだって恋によって生かされてきた。

このブログを書くにあたって、恋ってなんだろうと考えた。一言で表せるような安易なテーマじゃないことは分かっていたけれど、なにか定義づけできないものかなと思って。

 


恋とは

生きる喜びを感じられること、

愛することの素晴らしさに気づくこと、

わたしという人間を知ること。

 


私が考えたのはこの3つ。

恋をすると、日常の一瞬一瞬がとびきりの思い出になるし、その日々を駆け抜ける自分は物語の主人公そのものだ。特別な誰かが出来るという事は生きる楽しみが出来る事だし、生きる楽しみになるほど特別な誰かを見つけることが出来た貴方は紛れもなく素晴らしい。

 

愛するものがある日常は花のある暮らしと同じだと思う。たとえ花が言葉を返さずとも、笑いかけてくれなくとも、貴方は花を見ただけで幸せで満ちるはずだ。見返りなんてなくても、ただそこにいてくれるだけで心が躍り日常が華やぐ、恋にはそんな力がある。

 


恋を失った貴方へ

何かを愛でることが出来る心は美しいし、たとえそれが枯れてしまおうと姿かたちを変えようと、花を愛でた日々の柔らかな幸福は貴方の強さは不変の記憶としてお守りになるから。恋はそれ自体が素晴らしいのではなくて、それを見つけそこにありったけの願いを込めることが出来た貴方が素晴らしいのだ。誰がなんと言おうと貴方は素晴らしい。恋に敗れたのではない、恋をお守りにしたのだ。幸せな今はそういうお守りの数々によって築き上げられるものだから、今は握り潰してしまいたくなるかもしれないけれど、それを見るたび涙が溢れてしまうかもしれないけれど、またいつか愛するものに出会った時必ず貴方の支えとなるから。どうか捨てないで、ひっそりと片隅にしまっておいて。

恋とは " 生きる喜び " そのものだと思う。

 

 

 

恋を見つけた貴方、そして未だ恋を知らない貴方へ

なにかを愛することが出来る人は、それだけ自分を信じることが出来る人なのだと思う。そう、恋とは " 誰か " ではなく " 何か " をさす。それがものであれ人であれ、その何かに輝きを見出すことが出来たならそれはもう立派な恋だと言えるからだ。

数多あるものの中でこれが特別だ、一番だ、と言い切る事は本当に難しい。その輝きを見抜く力と、それを手に取る勇気が必要だ。恋も愛も全て自分から始まる。自分の目を、心を、すべてを信じて初めて人はなにかをまっすぐにひたむきに愛することが出来る筈だ。" 愛すること " というのはそれだけ特別なことだと思う。恋を見つけることが出来た貴方は信念を持った強い強い人だ。だからどうか忘れないで、貴方は恋をせずともはじめから特別で素晴らしい人だということ。たったひとりでも自分で幸せを生み出し、感じとり、満たすことが出来る力があるのだいうことを。だからきっと大丈夫、恋がうまくいこうといかなかろうと貴方は貴方であるだけで幸せなのだから。

この世で手放してはいけないものなんて自分自身しかないと思う。だから失うことを恐れて、せっかく見つけた輝きに目を伏せてしまうことだけはしないでほしい。

 

たとえその輝きが幻であろうと時が経ち消え失せようと、貴方は貴方の輝きさえ失わなければきっと自分の足で歩いていけるし、ふと振り返り 辿って来た道のりは幸せへと繋がっていたのだと思える時が必ず来るから。だから、どうかどうか、その輝きを失う辛さや手を伸ばす怖さよりも、人生のひと時でこれほど素晴らしい輝きに出会えた幸運とそれを見つけることが出来た自分の心を信じて、その輝きを掴み取って欲しい。

 


" わたしとは何者なのか " きっと誰しもが人生で一度はぶちあたるテーマの一つと言えるだろう。私がそれを一番考えたのが恋だった。好きな人ができて、その人に好かれる自分になりたいと思って自分を鏡に写してみた。だけど、貴方が好きということ以外、情けないほど何も分からなくて、私は一体どうしてこれほどまでに私を知らなかったのだろうと反省した。

よく「どうしたら幸せな恋愛ができますか」と尋ねられるのだけど、私はいつも「自分をよく知り隅々まで愛することが出来たら、必ず」と答える。

何故なら、誰かにとっての特別なわたしになりたければ、それ以前に私にとって特別なわたしになる必要があると思うからだ。恋愛とはいかに自分の強みを理解して磨き、その輝きを放てるかだと思っている。いわば究極の自己プロデュースだ。実はそこには相手の理想やタイプというのは関係ないと思っている。

先程述べた私のお話の通り、人は案外自分のことをよく知らない。どれだけ意識しようとも自分そのものを客観的に目撃することはできないのだ。だから他者から与えられた何かから自分を推察したり、外から跳ね返ってきたものの中で自分の片鱗を見つける。" 本当は自分が自分のことを一番知らないのだ " という言葉を何処かで見かけたけれど、それは真理だと思う。

そんな自分自身が思い浮かべる理想やタイプなんて、あってないようなものだ。そもそもそれ自体、今までの経験や外からの影響で形づくられたに過ぎない。

 


だから恋する貴方に声を大にして言いたいのは、目に見えるその人の一部分やどこかできいたその人のタイプや理想像に惑わされないで、ということ。

 

 

 

 

好きな人のタイプじゃなくて、貴方が思うタイプになって。ネットに書かれた〇〇ウケなんかに心乱されないで、揺るぎない自分ウケを目指して。

自分の理想を持ってそれに向かってひたむきに努力する人が魅力的に映らないはずがないから。自分自身や自分の世界を心から愛し満たされている人に惹かれないはずがないから。" タイプだから好き " よりも " タイプじゃないのに好き " の方が最強じゃない?

恋は誰かに好かれるためにするんじゃない、自分という人間を深く知って隅々まで愛するためにするのだ。

 

 

 

恋は時に残酷なほど辛くて苦しい。

だから、これだけは覚えておいてほしい。いかなる理由であれ、自分の身を削ってまでする恋は本物の恋じゃないということ。本物の恋に自己犠牲なんて必要ないのだから。貴方は貴方であるだけでこの上なく素敵だし、相手の苦しみは相手が背負うべきものだし、貴方は貴方の幸せを最優先にすべきだから。それを失ったら自分が自分でいられなくなるような盲目的な恋人は必要ない、貴方はひとりでもふたりでも幸せに生きることが出来るのだから、その力を信じて欲しい。本当に貴方を愛する人は、貴方が無理してヒールを履かずとも、涙を堪えずとも、頬をピンクに染めずとも、ただ貴方がそこにいるだけで心から愛おしいと思うはず。貴方らしさを曲げる人は運命の人じゃないから。

信念には限りがある、だからつまらない人のために浪費したりせず、ここぞという時のためにとっておいて。そして、ここぞという時が来た時は惜しげもなく目一杯注いでほしい。

それは自己犠牲なんかじゃなくて、貴方が幸せになるために必要な過程であって、運命を必然に変えることだから。自分を信じることさえ諦めなければ、たとえどれほど辛くても必ず報われる時がくるし、いつしか貴方の決断が正解になるから。

貴方が貴方の信念をかけて愛したものなら、たとえ誰がなんと言おうと素敵だから、自信持ってね。

 

 

 

 


どうか恋する人の瞳がいつまでもキラキラと光り輝くものでありますように。

 


貴方の恋がいつか救いとなりますように。