寂しさとの向き合い方
インスタグラムのDMで「恋人に充分満たしてもらえているはずなのに会えないとどうしようもなく寂しい 恋人を支えられる存在になりたいのに困らせてしまう」という相談を頂いた。
私も何度も悩んだことだからメッセージを読んで何度も何度も頷いてしまった。まだ正解は分からないし、寂しさに苦しむ時も沢山あるのだけど、現時点の私が伝えられる範囲で、寂しさとの向き合い方について書いていこうと思う。
相談者さんのように恋人がいるが故の寂しさを抱える人はきっと沢山いる。そして恋人がいないが故の寂しさを抱える人もまたきっといるだろう。
というより、恋愛に関わらず人は皆生きているだけで寂しい。
失敗するたび無力感に押しつぶされそうになるし、他人と自分を比較しては失望し葛藤する。眠れない夜は、あぁ誰かがそばにいてくれたらと願い、来たる朝には今の環境すべて投げ出して逃げてしまいたいと願う。
生きてるだけで寂しい。孤独は永遠の悩みだ。
相談の内容に戻ろうと思う。
相談者さんは恋人が満たしてくれているのにそれに満足できない自分に苦しんでいたけど、それはきっとたった一人になった時の自分に耐えられないからだと思う。
自分はきっと一人きりには耐えられない、もし万が一恋人がいなくなったらどうしよう、一人ぼっちになってしまったらどうしよう、という思いから幸せを恐れているように感じた。自立している恋人を見てもなお不安が溢れてしまうのは、もし自分が恋人の立場だったら、自分のことを好きでい続けることはできない、と信じているから。人はみな、"自分だったらこうする"を基準に人の気持ちを推測している。
会えなかったら好きでいてもらえないかもしれない、こんなに泣いてばかりいたら嫌われるに決まってる、
それは
だって会えない時の 不足感に満ちた私を私は好きでいられないから、だし、だってこんなに泣いてばかりいる自分なんて嫌だし離れたいから、だと思う。
自分がこんな自分は受け入れられるはずがない、好きでいてもらえるはずがないと思っているうちは、相手にどれだけ満たされようと優しくされようと本当の意味で信じることはできない。だから、相手の気持ちを疑ってしまう。本当に信じられないのは相手の気持ちじゃなくて自分の気持ちなのに。
だから声を大にして言いたい。
恋人の気持ちを気にするよりも、自分の気持ちを信じてあげて。恋人に好かれる自分になろうとするよりもまず、自分を受け入れられる自分になって。
自分を好きになることが大切って、よくいわれるけど、それは好きになれる部分だけ好きになったり、優れた自分のみを受け入れるってことじゃない。できない日があってもしょうがないなって受け入れることだし、恋人の前で泣いてしまっても立て直せることだと思う。
どんなにやめたい変わりたいと望んでも、まず今の自分を受け入れない限りは何も変わらない。受け入れるのは甘んじる事ではなくて、前に進むための過程に過ぎないから、今の自分を受け入れた上でどうなりたいか、そのために何が必要かを考えて見てほしい。
人はみな、自分よりも確かだと思う人に憧れるし好きになるのだと思う。だから、自分を物凄く好いてくれる人よりも叶わぬ恋を優先したりするし、依存されると逃げたくなる。好きだ好きだと言われ続けると怖くなるし、その人を信用できなくなる。だからこそ、自分で自分を受け入れて満たすことが大切なのだ。
今の自分を受け入れた上でもっと素敵な人になろうと努力している人をみて、魅力的に思わない人はいないだろうし、自分が放っておいても勝手に幸せでいられる恋人だからずっと好きだと思えるのだろう、と私は思っている。
自分を好きになるということは、自分の弱さを否定することじゃない。自分の弱さを知って、受け止めて、それでもなお強くなろうと努めること。
強くなれない時があってもいいし、理想とはかけ離れた自分がいてもいい。それでもこうなりたいなと思う自分を諦めなければ、きっとまた頑張れる時が来るしいつの間にか理想に少し近づいているものだと思うから。
相談者さんへ、
あなたはとても恋人思いで恋人のことが大好きだからこそ、自分の気持ちより相手の気持ちを伺い過ぎてしまっているのだと思います。だから、寂しいと思った時はそれを責めるんじゃなくて、耐えて耐えて爆発してから恋人に吐き出すんじゃなくて、少し自分の気持ちに寄り添ってあげて欲しい。こんなに幸せなのに寂しいと思っちゃダメだ、と思わずに、少し会えないだけでこんなに寂しいと思うくらい好きな人に出会えたのだという喜びを感じて見てほしい。寂しさは決して悪いものじゃなくて、自分が気づかなかった幸せや欲求を伝えてくれるものでもあると思うから。寂しさの中にほんの少しでも温かい気持ちを感じられたらきっと、それを持つことへの罪悪感は和らぐと思う。
恋人の気持ちがわからない時は自分の気持ちが分からなくなっている時だし、相手はきっと自分を嫌に違いないと思う時は自分が自分を嫌になっている時だから。
恋人を癒せる人になりたければまず自分を癒せるようになる。 自分が何をしている時に心地よいのか、何をしている時に満たされるのかを知って、心に余裕がなくなったらそれをしてみてほしい。
恋人にずっと好きでいてほしいのなら、どんな時でも自分を見放さないこと。恋人に愛されていると感じられる時だけ自分を愛するんじゃなくて、上手くやれてる自分だけ好きでいるんじゃなくて、どん底で何にもできない時の自分でも受け入れて、きっと変われると信じ抜いてあげて欲しい。
自分が不安な時こそ人に気を向けてしまいがちだけど、それは相手に望まれたことじゃないし、無理してやったことだからきっと見返りを期待してしまう。そして相手を責めてしまうことになる。
自分を好きでいられないと、どれだけ相手が愛してくれてもそれを受け入れられなくなる。相手はどんな貴方も受け入れる覚悟を持っているのに、貴方がそれを突き放してしまうことになる。
大切なのは何をするかじゃなくてどんな気持ちでするか、何を貰うかじゃなくてどう受け止めるかだから。
答えになったかどうか分からないけれど、貴方の不安が少しでも和らいだらいいなと思います。
自分を愛することも、孤独と向き合うことも、一生続くテーマだから、これからもずっと考えていきたいなと思う。そしてまた何か考えついたら綴ってみようと思う。
最後まで読んでくれてありがとうございます💐
恋だの愛だのについてのお話
やれやれ退屈な夏が来た、と思っていたのも束の間 気がつけばもう秋だ。
秋は一番好きな季節。
理由は私の生まれた季節だから、という至って単純なもの。友だちには驚かれるけれど、私は幼い頃から今も変わらず誕生日が楽しみで楽しみで仕方ない。私にとっての誕生日はなんてったって自分が自分であることに感謝する日なのだ。自分の誕生を、成長を、自分が一番に喜べること。それが私の日々の活力でありあれこれを頑張るパワーの源なのだ。
私が私として時間を重ねてこれた喜び。自らの成長をかたちとして最も実感できる一日。堅苦しいしきたりやルールなんて必要ないけれど、何事においても節目というのは大切にしたい。節目は平坦な日々に生まれた幸せに輪郭を与えてくれる、過ぎ去ってしまった成果を再び蘇らせて労うことができる、そんな特別なものだから。
誕生日を待ちわびる気持ちは、きっと50になっても80になっても変わらないと思う。いくつになっても誕生日を心から楽しみにできる、そんな歳の重ね方をしたいと思っている。
さて久しぶりとなったけれど、今回はタイトルの通り恋だの愛だのについて文字を走らせていこうと思う。
これは恋に悩む全ての人に宛てて書く手紙のようなもの。そう思ってふらっと読んでくれたら嬉しい。
貴方は、好きな人がいますか?
恋をした事はありますか?
たった15年、数えるほどの恋しかしたことのない私が言うのも恐縮だけど、恋は良いものだ。私は人生において大切なことの数々を恋から学んだと言っても過言ではない。いつだって恋によって生かされてきた。
このブログを書くにあたって、恋ってなんだろうと考えた。一言で表せるような安易なテーマじゃないことは分かっていたけれど、なにか定義づけできないものかなと思って。
恋とは
生きる喜びを感じられること、
愛することの素晴らしさに気づくこと、
わたしという人間を知ること。
私が考えたのはこの3つ。
恋をすると、日常の一瞬一瞬がとびきりの思い出になるし、その日々を駆け抜ける自分は物語の主人公そのものだ。特別な誰かが出来るという事は生きる楽しみが出来る事だし、生きる楽しみになるほど特別な誰かを見つけることが出来た貴方は紛れもなく素晴らしい。
愛するものがある日常は花のある暮らしと同じだと思う。たとえ花が言葉を返さずとも、笑いかけてくれなくとも、貴方は花を見ただけで幸せで満ちるはずだ。見返りなんてなくても、ただそこにいてくれるだけで心が躍り日常が華やぐ、恋にはそんな力がある。
恋を失った貴方へ
何かを愛でることが出来る心は美しいし、たとえそれが枯れてしまおうと姿かたちを変えようと、花を愛でた日々の柔らかな幸福は貴方の強さは不変の記憶としてお守りになるから。恋はそれ自体が素晴らしいのではなくて、それを見つけそこにありったけの願いを込めることが出来た貴方が素晴らしいのだ。誰がなんと言おうと貴方は素晴らしい。恋に敗れたのではない、恋をお守りにしたのだ。幸せな今はそういうお守りの数々によって築き上げられるものだから、今は握り潰してしまいたくなるかもしれないけれど、それを見るたび涙が溢れてしまうかもしれないけれど、またいつか愛するものに出会った時必ず貴方の支えとなるから。どうか捨てないで、ひっそりと片隅にしまっておいて。
恋とは " 生きる喜び " そのものだと思う。
恋を見つけた貴方、そして未だ恋を知らない貴方へ
なにかを愛することが出来る人は、それだけ自分を信じることが出来る人なのだと思う。そう、恋とは " 誰か " ではなく " 何か " をさす。それがものであれ人であれ、その何かに輝きを見出すことが出来たならそれはもう立派な恋だと言えるからだ。
数多あるものの中でこれが特別だ、一番だ、と言い切る事は本当に難しい。その輝きを見抜く力と、それを手に取る勇気が必要だ。恋も愛も全て自分から始まる。自分の目を、心を、すべてを信じて初めて人はなにかをまっすぐにひたむきに愛することが出来る筈だ。" 愛すること " というのはそれだけ特別なことだと思う。恋を見つけることが出来た貴方は信念を持った強い強い人だ。だからどうか忘れないで、貴方は恋をせずともはじめから特別で素晴らしい人だということ。たったひとりでも自分で幸せを生み出し、感じとり、満たすことが出来る力があるのだいうことを。だからきっと大丈夫、恋がうまくいこうといかなかろうと貴方は貴方であるだけで幸せなのだから。
この世で手放してはいけないものなんて自分自身しかないと思う。だから失うことを恐れて、せっかく見つけた輝きに目を伏せてしまうことだけはしないでほしい。
たとえその輝きが幻であろうと時が経ち消え失せようと、貴方は貴方の輝きさえ失わなければきっと自分の足で歩いていけるし、ふと振り返り 辿って来た道のりは幸せへと繋がっていたのだと思える時が必ず来るから。だから、どうかどうか、その輝きを失う辛さや手を伸ばす怖さよりも、人生のひと時でこれほど素晴らしい輝きに出会えた幸運とそれを見つけることが出来た自分の心を信じて、その輝きを掴み取って欲しい。
" わたしとは何者なのか " きっと誰しもが人生で一度はぶちあたるテーマの一つと言えるだろう。私がそれを一番考えたのが恋だった。好きな人ができて、その人に好かれる自分になりたいと思って自分を鏡に写してみた。だけど、貴方が好きということ以外、情けないほど何も分からなくて、私は一体どうしてこれほどまでに私を知らなかったのだろうと反省した。
よく「どうしたら幸せな恋愛ができますか」と尋ねられるのだけど、私はいつも「自分をよく知り隅々まで愛することが出来たら、必ず」と答える。
何故なら、誰かにとっての特別なわたしになりたければ、それ以前に私にとって特別なわたしになる必要があると思うからだ。恋愛とはいかに自分の強みを理解して磨き、その輝きを放てるかだと思っている。いわば究極の自己プロデュースだ。実はそこには相手の理想やタイプというのは関係ないと思っている。
先程述べた私のお話の通り、人は案外自分のことをよく知らない。どれだけ意識しようとも自分そのものを客観的に目撃することはできないのだ。だから他者から与えられた何かから自分を推察したり、外から跳ね返ってきたものの中で自分の片鱗を見つける。" 本当は自分が自分のことを一番知らないのだ " という言葉を何処かで見かけたけれど、それは真理だと思う。
そんな自分自身が思い浮かべる理想やタイプなんて、あってないようなものだ。そもそもそれ自体、今までの経験や外からの影響で形づくられたに過ぎない。
だから恋する貴方に声を大にして言いたいのは、目に見えるその人の一部分やどこかできいたその人のタイプや理想像に惑わされないで、ということ。
好きな人のタイプじゃなくて、貴方が思うタイプになって。ネットに書かれた〇〇ウケなんかに心乱されないで、揺るぎない自分ウケを目指して。
自分の理想を持ってそれに向かってひたむきに努力する人が魅力的に映らないはずがないから。自分自身や自分の世界を心から愛し満たされている人に惹かれないはずがないから。" タイプだから好き " よりも " タイプじゃないのに好き " の方が最強じゃない?
恋は誰かに好かれるためにするんじゃない、自分という人間を深く知って隅々まで愛するためにするのだ。
恋は時に残酷なほど辛くて苦しい。
だから、これだけは覚えておいてほしい。いかなる理由であれ、自分の身を削ってまでする恋は本物の恋じゃないということ。本物の恋に自己犠牲なんて必要ないのだから。貴方は貴方であるだけでこの上なく素敵だし、相手の苦しみは相手が背負うべきものだし、貴方は貴方の幸せを最優先にすべきだから。それを失ったら自分が自分でいられなくなるような盲目的な恋人は必要ない、貴方はひとりでもふたりでも幸せに生きることが出来るのだから、その力を信じて欲しい。本当に貴方を愛する人は、貴方が無理してヒールを履かずとも、涙を堪えずとも、頬をピンクに染めずとも、ただ貴方がそこにいるだけで心から愛おしいと思うはず。貴方らしさを曲げる人は運命の人じゃないから。
信念には限りがある、だからつまらない人のために浪費したりせず、ここぞという時のためにとっておいて。そして、ここぞという時が来た時は惜しげもなく目一杯注いでほしい。
それは自己犠牲なんかじゃなくて、貴方が幸せになるために必要な過程であって、運命を必然に変えることだから。自分を信じることさえ諦めなければ、たとえどれほど辛くても必ず報われる時がくるし、いつしか貴方の決断が正解になるから。
貴方が貴方の信念をかけて愛したものなら、たとえ誰がなんと言おうと素敵だから、自信持ってね。
どうか恋する人の瞳がいつまでもキラキラと光り輝くものでありますように。
貴方の恋がいつか救いとなりますように。
点と愛
拙くて、きっと論点なんてものは
いつの間にかふわ~っと消えてしまうけれど、
せっかくだし、
振り返ってみようと思います。
" 平成 "
りるはが産まれて、生きてきた時代。
長い目で見れば、ひとつの時代なんて
ながーーくある線の中の、点なんだって
どこかで聞いたことがある気がします。
ひとつの時代が点なんだったら、
りるはが産まれたとき、
いっとさんが産まれたとき、
いっとさんと出会ったとき、
辛かったとき、悲しかったとき、
楽しかったとき、嬉しかったときなんて
粒子レベルって事です。
点にだって各々大小はあります。
自分の中でのひとつのおっきな点は、
いっとさんに出会えたこと。
いっとさんに出会った、っていうより
いっとさんを見つけた、の方がきっと
現実に近いかもしれませんが、
"出会った"って表現をさせてください。
いっとさんに出会って、知らなかったこと、
知らなかった世界に出会いました。
大体すべてのことに首をつっこみ、
大体すべてのことに愛を憶えました。
「愛を憶える」なんて
とても痛々しいことを言っていますが、
りるはが生きた
平成約半分の期間をまとめて
シールを貼って整理するなら
りるははきっとそのシールに
愛って書くと思います。
ありがちだな~とは思います。自分でも。
びっくりしちゃうくらい。
でもでも、この字を選ぶときに、ふと、
小学生の時のことを思い出したんですね。
学校から意味調べの宿題が出されて、
その中に「愛」があったんです。
今考えてみると、そんな哲学的なことを
聞くのか……なんて思ってしまいますが、
当時の私はしっかりばっちりググりました。
愛って、その対象をかけがえの無いもの
として、それに惹き付けられることを
言うらしいんです。
正直、よくわかりませんでした。
意味を調べてるのに、
ずいぶん抽象的なことを言うんだな。
そんなふうに思いました。
でも、今ならもうわかるような気がします。
いっとに抱いている感情こそが
きっとそれなのかなって。
(痛いなって思わないで)
いっとさんはわたしにとって
かけがえのない人だから、
突然いなくなるなんて考えられないし、
いっとさんに日々惹き付けられているから、
だいすきってきもちが毎日膨らんで、
そこから逃げられない
りるははここに存在していていますし、
アーティストとして多忙な日々を
過ごしているいっとさんも、
ここに存在しています。
でもきっと、今いっとさんが
存在しているってことも、点です。
どこかの神様みたいにおっきなひとが、
この時代の流れを暇だな~って見ていて、
鼻がムズムズして途中でくしゃみをして、
この点が飛んでいってふんずけられて
みんなの記憶からなくなってしまったら
誰にも気づかれないかもしれない。
それでもりるはは記憶のどこかで、
あんな人がいたような、、
あんなことがあったような、、って
おぼえていたいな~~って思うのです。
一体これはなんの話だろうか……
いっとさんに出会ってから、
色々なことを考えるようになって、
考えがあっちこっちに
行ってしまうようになりました。
こんな自分もちょっと好きです。
りるはは自分のことを
どうも好きになれないのですが、
いっとさんのことを好きな自分は
だいすきです。
自分を愛することを
教えてくれたのもいっとさんです。
それから、いっとさんのおかげで
たくさんの素敵なおともだちが出来ました。
いっとさんと同じくらい、
かけがえのない存在で、
日々、惹かれています。
次の点も、
いっとさんと、素敵なおともだちと。
大事に大事に打ちたいな。
最愛の貴方へ
みなさん!
こんにちは〜❗❗❗
どうも❗じょちゃんです❗
今日は特別な日だからはてブロを書きます
先ほど無事に帰還してりるはの夢みたいな一日の幕が下りました。
そんな現実に向き合えず虚無感に襲われ、帰りの電車では永遠と空虚を見つめながら爆睡。
え?
たった今気づいて身も心も震えたことを教えたい…いい?心の準備できた?言うよ?
あと4ヶ月半で今年が終わる(余白の無駄遣いオブザイヤー)
そんなわけで、いつぶりの更新でしょうか
久しぶりに文章書くのでちょっとというかとても緊張しています、大目に見てね、どきどき
まずはじめにはやとが
SUPER FANTASY BROS.のHAYATOとなり、
りるはの目の前に現れてくれてありがとう。
この世に生を受けてくれてありがとう。
前置きとして一言書いておきたい。このブログは呆れるほど長い。(でしょうね)一週間前から思い立って暇な時間の合間を縫ってちょこちょこ思いの丈を文字にしていった結果、遺書ですか?死ぬ間際?みたいな感じになってしまった。大前提に、これはりるはの渾身の独り言回顧録。読む人の負担とかほとんど考えてない。それに特に面白くない。なので最後まで読むのは相当面倒臭いと思う。りるは自身こう自分の思いをつらつらと綴る機会はあまりないので、見るに堪えない内容になるのが目に見えているけど、そもそもこんなようなブログはしがないオタクの自己満に過ぎないんだから、読んでくれている方がいたら私泣いて画面の向こうにいるそこの貴方の瞳にキッスしますね(with唾液)
レッツスターティン❗(りんごちゃんvoice)
今チャレンジライブの感想を言葉にしようとしてて、何回も打って消してを繰り返しているんだけど案の定むりでした
草
草超えて森超えてAmazon超えてナイル川を超えそこは、まだ見ぬ世界だった
笑えな、ごめんめんめんめんめんめん
※本人は至って真面目です
チャレンジライブ幸せだったなぁ
はやとがガシガシパフォーマンスしてるの見てキラキラ輝いてて生きてるーーーッなった
心のオアシス❗❗❗❗
終始感極まって泣いてしまったよ…
どれだけ泣かされたと思ってるの!責任とってこれからも毎日幸せでいてね!
はやとの誕生日だから、と、こうして書くブログでさえいとおしいはやとの話はできないまま、自分の話をしようとしている
そもそもこの気持ちを言葉にするのってこの惑星の回り方が変わるくらい不可能な話ではあるんだけど、「空白」は言葉にできない思いが確かにそこにあるっていう証だって、最近読んだ本がそういってた。
一から百まですべてを、端から端まで言葉にする必要はないのだと
じゃあひと掬いくらいは文章のなかに溶かせるかもしれない、そうしてできた空間の分だけまたはやとをすきになれたらいいなとか
この人生の最後まで、りるはの心は空白のままかもしれないのだけど、それもなんだか悪くはないなぁなんて思ったり
8月13日。
はやとを知らない人にとっては813はただの3ケタの数字でしかなくて。
そのなんでもない数字、なんでもない日が、
りるはがはやとを好きになってから なんだか特別で、少しキラキラしたもの になった。
例えばパッと時間を見て8:13だった時、誰にも言わないけれど ちょっぴり嬉しくなったり。
切符を買って 左端の4ケタの数字が0813だった時、世間一般でいう両思い切符よりも「あ…!」って、嬉しくなって 思わず写メ撮っちゃったり。
今では自分の誕生日よりも、誕生日の数字よりも、もっとずっとワクワクする日になっちゃったり。
はやとのここが好きだとか、はやとはこんなに素敵なんだとか、到底まとめきれない、パフォーマンスや歌声や外見も勿論そうだし、なんといっても内面の魅力を書き出そうと思うと本当にキリがない。もしはやとの内面のどこが好き?と問われたら、簡単には伝えきれないくらい複雑だというその前提が好きと答えたい、奥行きが最高なんだと。
複雑さ、と言うとネガティブイメージを含んでしまうのかな、はやとの、まとめきれない魅力の多さと、非現実でもAIでもない、いつでもよく考えて成長し続ける生身の人間であることとからくる複雑さが大好き、それでいて結局まっすぐで一貫しているところが大好き!!!!!
はやとのことを知れた人は幸せだね、はやとの素敵さは徹底的に厭味がなくて、「ああなりたい なれない」とかよりも、「あんなひとがいるなら生きていたい」と思わせられる。
りるはは、はやとを好きっていうその気持ちに支えられていたんです。好きな人がいる、好きなものがあるって、どんなことよりも人間を強くしてくれると思うんです
旬が短いアーティスト若手がどんどん排出され常に変わりつづける音楽業界やトレンド、これからどうなっていくかわからない一寸先は闇のこの業界。汚い部分も沢山見たよね、きっと。どうしようもなく苦しくなった事も数え切れないほどあったと思う
それでも貴方が今日まで生きる事を選択し続けステージに立ってくれてありがとう
お陰で見つける事ができました、黄金に輝くいちばん星です
生まれてきてくれてありがとう、ずっと諦めずに夢を追いかけ続けくれて、
貴方はりるはにとってとても大切な存在で、成長させてくれる人
はやとのこと応援しながらしっかり自立して自分の人生を歩んでいきたいな。頑張ります。
はやとが迷路の中の行き止まりで悩んで迷ったとしても最後は必ず楽園につながっていますように。
また1つ大人になった貴方に期待しています!楽しみだあ
貴方への思いはいつだって変わらないよ、愛してます
今日は本当におめでとう
ps.呆れるほど長くはなかったね(多分)
🐱
おはよ!こんにちは!こんばんは!
なにを書きたいと思うでもなく突如ポチポチ文章を書き出すノープラン作文… 怖い……
ね。そうね。
常日頃からTwitterや口ではやとへの想いやらお礼やらなんやらかんやら、伝えたいことや思ったことは放出させて頂いておりまして…改めて何を書くのかってとこでもあるんですけど……ね…B型だし「やってみよ」と思ったこと実行せずにいられないからさ…させてみて…
なんかたぶん、読んでて「?」となったり「🤨」となったり「😥」となったり「😑」となったりすること書いてしまうかも知れないので、そのニオイがしてきたらそっと画面を閉じてください
ほんとに読んでも得しないしオチもたぶんないしまず日本語が下手なので読めないかも知れん!時間のムダん!かも知れん!おっ韻踏んでる
とここまで打って、とりあえずこのブログでは、りるはにとってのはやと。こんなテーマで書いていこうと決めてみた。
どう?何書いても許されるテーマでは?
なあみんな?
というね、ことでね、さっさと始めろよというね、声も聞こえてきませんがねなんてったってりるはが今いるのは自分の部屋ですしね家ですし聞こえたら怖いしね、なんてゆーてますけどね、ねー、どう??もう読むのやめたくない?いいとおもうそれで。この時間あったら親に「いつもありがとう」って言えるもん。この時間つかって親孝行できるもんね。ごめんごめん。ぴえんぴえん。
っしゃ、喋ってみっか!!!!!
まじで思ってること書くかんな。言葉選ばないかんな。怒ったかんな。したらごめんな。
りるはにとっての、はやと。
りるは、ぶっちゃけ、はやと居なくても生きていけるんですよ。
は?
わかる。それな。は?すぎん?
はやといなくても、生きていけるのね。
朝起きて、歯磨いて、ご飯食べて、メイクして学校行って、授業受けて、部活して帰ってきて、レッスン行って、ご飯食べてお風呂はいって、時間になったら、死んだように寝る。
休みの日は部活行って、レッスン行って友達と買い物して、映画見て、ノリでお泊まりしたり、終電逃してみたり、始発で帰ってそのまま死んだように寝てみたり。
はやとって、りるはの生活に、「必要不可欠」じゃないんですよね。
はやとが居ない世界でもりるはは普通に学校行って、普通に友達と遊んで、普通に歳をとっていく。
はやとって、居なくてもりるは死なないんですよ。
怖くない?怖 でも本当にそうで。
ご飯がなかったらお腹が減って死ぬし、仕事がなかったらお金が無くてそのうち死ぬし、友達がいなかったら寂しくて死ぬかも。死なないかな。友達いるのでそこはわかんないけど。(適当)
でもはやとが居なくても、ご飯は食べるだろうし、お風呂にも入るだろうし、学校にも行くだろうし、友達もいるんですよね。
だからりるは、たまに考えるんです。
基本的にりるはは、喋リストで友達も少ないわけでもなく、とりあえず話したならオレら友達で良くね?ブォーン🤜🏻🤛🏻チルしよチル✊🏻❗️みたいな感じなので、
はやとの居ない世界でもりるははフツーーーにそれなりに楽しんで生きていけるんだろうなーって、ふと なんで今?みたいなタイミングとかで思ったりするんだよね
でも。
「居なくても」より、
「居るから」こうなんだ の方が、圧倒的にいっぱいあるってこと、その度に感じるんですよね。
はやとって本当にすごくて。
りるはが送っていたであろう普通の生活の中に、はやとを取り込んでみたら、大変なことになるんですよね。
えまってやばい
今、「居るから」どうなんだということを考えたら、めちゃめちゃあった。めちゃめちゃありすぎて、言葉にしようとしても出来なくて、何回も打って消してを繰り返しているんだけど、
「もうダメだ、やめた」
という感情。むりしぬ。なに?
結局りるはは、140字だろうが文字数制限がなかろうが、推しへの気持ちを語る脳ミソが欠落してるってこと??????何なの?????
えほんとにやばくない??こんなブロガー見たことある??ないない。二度と書くな。
やばいでしょ。誰??ほんとにキレそう キレた?みんなキレた?
最終的に言いたかったことは(無理矢理)
居なくても生きていける。
けど
居たらりるはの人生は変わる、大幅に。
そして
はやとの居る人生を知ってしまった以上、居なかったことには到底出来なくて、
つまり
今となっては、はやとが居ないと、死ぬ。
はやとが居ないと、生きていけないんですよ。りるは。
っていうのを、天才ブロガーのごとく、美しい言葉でつらつら書いて、ビシッとキメたかったんですけど、ムリでした私は。さいあく今すぐ頭外れて欲しい。
誰? 今私のことぶん殴ったの? 正解。いいよ。
りるはには、ブログが向いてないこと。
りるはには、ツイッターが丁度いいこと。
こんな形で知りたくなかったょ………………
ほんとに時間の無駄になってしまってごめんなさい。
ほんとに。こんなつもりではなかったんだよ。ほんとに。
ほんとにごめん。ごめんめんめめんめん。
実は、こういうとこあるんよ。りるは。
こういうとこも愛して欲しいんよ。
愛してくれるかな?
ほんとになんのブログこれ?ほんとに嫌
嫌すぎる はやと大好き これはほんと
途中まで良かったのに何このガラガラガッシャン。
はあ…………こんなブロガー見たことないんだよ………………書くなよ………………そしてダメなら投稿するなよ………………しちゃうのも含めてりるはみたいなとこある?ないよ
さて、
はやとへ
おかげさまで、りるははご覧の通りいつも幸せです。
ありがとう。だいすきです。
(突然のシメ)(マジのend)
P.S.
生まれてきてくれてありがとう。
SUPER FANTASY BROS.のHAYATOになってくれてありがとう。
りるはの人生に現れてくれてありがとう。
りるはの心を奪ってくれてありがとう。
笑顔を見せてくれてありがとう。
幸せな時に幸せと伝えてくれてありがとう。
りるはの知らないところでたくさん苦労してくれてありがとう。
それをたまに教えてくれてありがとう。
ありがとうと言ってくれてありがとう。
今日も生きていてくれてありがとう。
りるはのたった一度の人生で、かけがえのないあなたと、かけがえのないメンバーと、かけがえのない友達と、かけがえのない毎日を、時間を、感情を、歌を、夢を、希望を、幸せをくれて、そしてそれを当たり前じゃなくて「かけがえのないもの」として感じることが、思うことができるりるはにしてくれて、本当に本当に本当にありがとう。
これからも、誰にも似てない、かわりなんていない、「かけがえのない」あなたの ファンで居させてください。
追伸書いてたら想いが溢れて泣いちゃったぐすん ありがとう あと何回言っても足りないなあ
なんか泣きそうだよもう!!!!好きが溢れすぎてこぼれすぎて、でもそれを掬えるひとがいなくて、ただこの感情を救えるのは、はやとしかいなくて、、っていうよくわからない気持ち
はやとを好きになれて本当によかった。はやとは今でも、いつまでもりるはの大切で大事で大好きな人です。
アーーーーーーやっぱり、りるはは、はやとのことが大好き!!今日も幸せだったナ!!!!
ありがとう
𝟎 𝟏 𝟎 𝟏
今日は1月1日。12月が終わって、1月はじまりの日。そして、大好きないっとの生まれた日。
いっと誕生日おめでとう!!!🎂
今日は世界一だいすきな人が生まれた日だから、りるはにとって1番大切な日です。
正直、自分の誕生日よりも大切で、幸せで、素敵な日。とか言うといっとに笑われそう笑笑
けど今年も来年もこれからずっと先も、きっとりるはの1番大切な日だって断言できる。
根拠なんてものないけれど、でもきっと。
日付が変わった今日。
次々と流れてくる愛に溢れたツイートたちは、この世界のしあわせというしあわせを全部詰め込んだんじゃないかってぐらいとってもやさしくて、やわらかくて、あたたかかった。
だいすきな人がだいすきな人たちに愛されているって、自分が愛されることよりもずっとずっと嬉しいものなんだね( ; _ ; )
ってことで今日は少しだけ真面目に話そうかな!()
りるはって元々BTS一筋で生きてきてて、だから今こうやってSFにハマるなんて思ってなくて。いっとのことを初めて知った当時のりるははすごく子供で、(今もな)見えていることが全部真実だと信じて疑わなかった。
そのせいでたくさんの情報に振り回されて、流れてくる噂をバカみたいに信じ込んで、ろくに知らないいっとに勝手に期待して、そして勝手に落ち込んで…今思うと自己中なオタクだったなって思う。なんなら、ちょっと消したい過去かもしれない。それくらい、いっとの一拳手一投足に惑わされ、勘違いして、勝手に振り回されてた。だけどりるはも大きくなるにつれて少しずつ、本当に少しずつだけど、いっとのことがわかってきた気がする。分かる、って言い方はおかしいかな。なんていうか…周りに流されず、いっとの言葉といっとの気持ちだけを信じて素直に応援できるようになった、みたいな?
これは自分を褒めすぎか(笑)
所詮りるはたちは演者とファンってだけの周りから言わせれば薄っぺらい関係かもしれないけど、そんな言葉じゃ収まりきらない程の大きな愛情をずっといっとたちから貰ってたことに気づいたし、そのことを知ってるのはいっとのことを好きな人達だけで良いって思うようになった。
りるはは、誰がなんて言おうと、今までも、これからも、いっとが大好きです。
いっとはどんなことがあっても幸せでね
時には納得のいくステージが披露できなかったり、なにか失敗をしてしまって、自分に自信が持てなくなったりうまく笑えなくなる日だってあるだろうけど、そんなときは9人の素敵なメンバーたちがいっとを笑顔にしてくれるだろうからきっと大丈夫だよね😌
いっとの笑顔にはしあわせが詰まってる。
いっとって知らない人からしたら器用に見えるけれど、本当は少し不器用で、だけど責任感が強くて、いつも一生懸命で、常にみんなのアーティストであろうと努力するいっと。
知れば知るほど愛おしくて、りるはたちが想像しているよりももっと複雑で、目が離せない危うさを持っていて、なんだか応援してあげたくなるような…。
いっとにはとにかく、言葉にするのは難しい不思議な魅力があるんだよね。
綺麗な歌声も、ダンスも、地球を支配できるレベルの可愛すぎる笑顔と愛嬌も、もちろんいっとを構成する全ての要素が大好きなんだけど、なんでこんなに応援しているのかというと、やっぱりいっとのこういう人間らしい所が理由なんだと思う。
完璧な人って、もちろん魅力的だけど、完璧すぎるときっと面白くないから。
人間らしく感情を出す姿や、少し欠けてる部分があるからこそ惹かれる。だから好き。
それと最近思ってることなんだけどりるは達は、ステージの上のいっとを1番に応援してあげるべきなんだなって。いっとが本当にりるはたちに見てほしい姿…つまり、歌とパフォーマンスを見てあげたい。
鈍感で可愛らしいいっとには気づかないふりをして。
っていうのも、いっとが自分の理想をそのまま託して、不器用なりにたくさん努力して、そうした結果出来上がったのがステージ上の、あの完璧ないっとな訳じゃないですか。そんなの、愛おしくない訳なくて。
(…今世紀最大の伝われ…してる)
オタクをしていると、どうしてもその人のことがもっと知りたくなって、ついプライベートの噂や普段の様子に目がいってしまいがち。りるはも最初はそう。女の子の噂はやっぱり少し気になるし、普段の生活だってそりゃ気になる。すごく分かる。
だけどやっぱりりるはたちはファンと演者で、だからステージ上のいっとを好きであるべきなんだなって。なんて、こんなの完全な自論だし人それぞれ考え方は違うと思うから、りるはが口出しすることではないんだけれど!!!
だけどりるはがオタクする上でいつも肝に銘じていること。
だから、りるははいつも、どんなイベントよりもキラキラしてるいっとを見れるワンマンに1番行きたいなあって思う。
ファンタジーの世界に引きずり込まれるあの瞬間が、世界で一番大好き。
本当にステージに立っていてくれてありがとう
りるははすぐにクヨクヨするし、つい自分の理想を推しに押し付けてしまうような相変わらずダメなオタクだけど、それでも今まで、ダメなりにいっとといっとの大好きなグループのことを応援してきた。
そのことだけは、ほんのちょっぴり誇らしく思ってる。
もちろん大したことないのは重々承知で。
いっとが今までくれたたくさんの温かい言葉、ファンを見つめる優しい眼差し、今よりもっとカッコよくなろうと努力を重ねる姿、もっと歌が上手くなりたいと悩んでいたこと。
どれも忘れられないし忘れたくない、大切な思い出。
いっとの身に何か起こる度に、バカみたいに泣いて、自分のことのように怒って、そして全力で喜んで、いっとがくれる言葉のひとつひとつに、たまらなく嬉しくなって…。
いっとに出会うまで、自分がここまで他人のことで一喜一憂できるなんて知らなかった。
幼いりるはにたくさんの感情を教えてくれたのは、紛れもなくいっとです。
決してここがゴールではないし、これからもまだまだ続くだろうけれど、それでもたくさんの辛いことを乗り越えて、こうやって綺麗な景色をたくさん見せてくれたいっとには本当にありがとうって伝えたい。
人一倍優しくて、時々小学生みたいな冗談を言うところ
それなのにステージに立った途端に男らしく、色っぽく、たくさんの人を魅了するところ
誠実で、いつも誰よりも努力する姿
子どもみたいに可愛いところ
少しあどけない話し方
みんなを癒して和ませてあげられる、優しい性格
温かい笑顔と歌声でみんなを包み込んでくれるところ
いつも全力で周りの人を愛するところ
その分人一倍悩むだろうし大変だと思う
ひとりで抱え込まないようにね。
どんないっとのことも、本当にすきだよ。
ずっと人を好きでいることって、簡単なように見えて実はとても難しいことだと思ってて。
あの時からずっと変わらず、いっとはりるはの唯一無二。かけがえのない大切な人です。
ずっと好きでいさせてくれてありがとう。
いっとのファンで本当に良かった。
いつかりるはが大人になった時、いっとから離れる日がきたとしても、きっといっとにかけた時間もお金も感情も、どれも無駄じゃなかったって胸を張って言えます。
いっとはりるはの青春そのものだから。
某音楽グループのメンバーが言ってた
"いつも笑っていたい。いつも笑えるように
本当に心から笑えることばかりがあったらいいな。"
っていう言葉の通り、大好きなメンバーとファンに囲まれて、これからもずっといっとが幸せで笑顔でいてくれたらいいな。
いつも幸せでいて欲しいのも、ぐっすり眠れる日が続いて欲しいのも、ずっと笑ってて欲しいのも、全部いっと。
いっとが幸せでいることがりるはの幸せだということだけは忘れないで、どうか自分の幸せを1番に考えてね。ファンはいっとが選ぶ道を応援してくれるから。
例えいっとがステージを降りる時がきたとしても、その瞬間まで、ずっとずっと何があってもりるははいっとの味方です。
これからも一緒にたくさんの景色を見ようね。
りるはの生きる意味になってくれてありがとう
そして心から
生まれてきてくれてありがとう。
来年もいっとの誕生日祝いたいし沢山喜ぶ顔見たいからまた1年お互い良い関係になれるように頑張ろうね✌🏻🥰
1年に1度の特別な日にこうして想いを伝えられるのが本当に嬉しくて幸せ!!
今年も、健康で、幸せで、たくさんの愛に溢れた1年になりますように
そしてひとつだけいっとに望むことがあるとするならば、少しずつで良いから、自分を好きになってね。いっとの今までの努力、みんなちゃんと知ってるよ。
ひとりごと
おはよう!こんにちは!こんばんは!
(何回書いても出だしが分からないのでスルーして)
10月に書いたブログが下書きに埋まってたから今更だけど供養^^
テスト期間ブログ書いてないで勉強しろー!という声が色んなところから聞こえてきますが、一旦それは無視してジョングクさんについて話してみようかな〜と思います
それではりるはのブログ〜〜、すたーてぃん🌟
ジョングクさんの話というのはまぁ皆さんの予想通りあれです、あれあれ
最近りるはがちょっとTwitter浮上してない間にタトゥーと彼女の話でТLが盛り上がってましたよね(ポジティブな言い回し)
正直ジョングクはまだ彼女とかいないんだろうなと勝手に思ってたのでビックリしました(バレなければ恋愛してもいいでんねんほっほーい系オタク)
しかもアイドルではない!!!
彫り師さんとの熱愛とは誰が予想したものか!もし予想できてた方がいるのならマンションの1つや2つプレゼントしたいくらいです(ウソ)
でもその熱愛は事務所も女性の方も公式に否定してたので全く気にしてませんでしたし、りるはは男女の友情は成立する!と思ってる人間なのでバックハグを本当にしていたとしても恋愛感情がないならいいのかなぁとか考えてました
あ、そうそう、そしてタトゥー
まぁタトゥーに関しての考えは人それぞれだと思うので他人の考えにりるはがとやかく言えるようなことではないと思うんですけど、ブログ名がひとりごとなので勝手に言いますね
そんなにジョングクのタトゥーだめ?!🥺
実際日本で彫ってる人少ないし、タトゥーといえばヤクザ、みたいな印象があるからあまり好まない人が多いと思うんだけど、海外ではお洒落として当たり前のように入れるものだから入れたい人は入れればいいじゃん!!人の勝手じゃん!!とりるはは思います
タトゥー入れてるからヤクザだ、とか 怖い人なんだ、っていうのはおかしいよね本当に
そういう偏見がどんどん減っていけばいいなぁ
ジョングクは前々から「タトゥー入れたい」って言ってたから、タトゥーを入れたこと自体は全然驚きませんでした
「僕が髪の毛をちょっとだけ長く伸ばしたいんですけど、、嫌ですか?」とか「僕はピアスの穴を拡張した方がかっこいいと思うんだけど、皆さんは違いますか?皆さんの言うことを聞きます。これ以上はもう大きくしません。」ってファンの意見をできる限り尊重しようとしてくれるジョングクだから、やっと自分のやりたいことが出来たんだなって思って正直りるはは嬉しかったです
それができるようになったのはファンのことを信頼してくれてるからこそだと思ってるので
だからジョングクがやることを全否定して欲しくないなぁと思うわけですよ(お前は誰?)
ファンにはファンの考えとか好みがあるから全部素直に受け止めるのが難しいことくらい分かってるんだけどね
というか手の甲に入れてるタトゥーめちゃくちゃ可愛くないですか?!?!
army本当に愛されてるんだなと、、、
ジョングクは昔と変わってしまった、、みたいなこと言ってる人たちはジョングクの何を見てるんですかね?
見た目が変わっただけで心まで変わってしまったと勝手に決めつけ、会うとタグをしている人たちに、今一度考え直した方がいいのでは?と思わずリプを送ってしまいました(心の中で)
何が言いたいのか自分自身も分からなくなってきたのでそろそろ締めに入ろうかな
ファンにアイドルの全てを知ることなんて一生できない、理解しているつもりでいるだけなんだと、長年色んなオタクをやってきてやっと気づきました
だからこそネット上の噂を全部鵜呑みにするのではなく、ジョングクが発信してくれることを信じたい
りるははジョングクがやりたいことを沢山やって幸せに生きてくれればそれが一番です
これからものびのび、ジョングクらしく楽しんで過ごせますように